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コンビニで感じた違和感からダルクの今を見る その二
 これで思い当るのは、初期ダルクのエピソードだ。近藤恒夫さんによれば「ダルクに細かい規則はほとんど無意味。破られるのがオチだから」(「薬物依存を超えて」)という。規則を破る猛者ばかりの仲間に手こずった経験から、近藤さんは彼らを規則で縛ることの無意味さを悟る。むしろ、仲間を規則でコントロールするのを止め自分自身のケアに専念したところ、不思議なことに施設内が落ち着き、回復者が現れたという。僕はここにヒエラルキーを無化する治療共同体の根源的な力を見る。当時の入寮者はせいぜい10人足らずで、強固な仲間意識と濃密な人間関係を築けた背景があったとしても、だ。
 しかし苦節30年、最近のダルクは少し事情が変わってきたようだ。ダルクも世間に認知されるようになり、「入口」につながるアンテナが格段に増えた。何よりも福祉行政の恩恵を受け易くなったことで、ダルクで安全・安心に回復プログラムに取り組めるようになった。その半面で、入寮者が多様化して依存症とのグレーゾーンに位置する人たちが増えた。主観的ながら規範意識の問題で言えば、任侠道で鍛えられ法の支配に対して反骨資質のある者や、刑務所を何度も往復してきた受刑者、社会に居場所がなく長く路上生活を強いられたホームレス出身者ら、もともと規範意識が低く決まりを守るのが苦手な人たちが増えた印象を抱く。
 さて冒頭のコンビニの話に戻ろう。人を見た目で判断してはいけないとはいうものの、本音を言えば見た目で判断しているのが世の常だろう。もっと言えば、耳に心地よい「個性尊重」の言葉とは裏腹に、この国では依然として横並び意識が強く、「出る杭は打たれる」のがオチだ。今もって、金子みすゞの詩のように「みんなちがって、みんないい」とはならない。だから、ダルクの人たちが街中のコンビニに集団で居ても、何ら違和感のない“自然な風景”となるにはクリアすべき課題が多く、まだまだ時間がかかるだろう。でも、危うくなった社会に危うい存在がいることは、どこか“救い”のように僕には思えるのだ。やはり僕はダルクに身びいき過ぎるのだろうか。

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