元新聞記者による辛口コラム・エッセー、イラストと写真です。ご意見ご感想をお気軽にお待ちしています。(記事・画像の無断転載と無断複製・配布を堅く禁じ、万一発見した場合しかるべき処置を取ります)
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ダメな社会だからこそダルクに救いがある
 ダルクは依存症先進国の欧米に普及している治療共同体(TC)がモデルとされる。日本の医療風土ではなじみが薄いけれど、精神科医療が長く匙を投げてきたアルコールや薬物依存症者の治療では、TCの運動がそれなりに効果を発揮している。残念ながら僕の貧しい理解ではTCをうまく説明できないが、ストレスの多い現代社会において、いわゆる「心の病」の専門家たちとは異なる地平で、依存症以外の分野でも少しずつTCの運動が浸透しつつある。静かなムーブメントとなって支持されているようだ▼TCの不思議な治療メカニズムについての話は別の機会に譲るとして、ダルクはTCの基本原理を骨格にして成立する。同じ原理ながらも、自助(相互援助)グループのAAやNAとは異なる社会との中間施設である。あくまで依存症の治療・回復を支援する民間の通過施設であって、生涯にわたって利用者がそこに留まる施設ではない。一定の回復を経て社会復帰を目指す施設でもある。でも実際には、社会の受け入れ体制の未整備や、地域における依存症の理解遅れと相変わらず根強い偏見によって、ダルク内での滞留化が加速して社会復帰が建前と化している印象がぬぐえない▼とはいえ、依存症者が社会に復帰するとはどういうことなのだろう? 胸を張って存在を誇示することはできないとしても、ダルクだって社会の一員だ。薬物乱用防止の学校講演会や病院、刑務所へのメッセージ活動などで、ダルクのメンバーが自分たちの過去の経験を生かして、それなりに社会貢献している。でも、どうやら世間が求める社会復帰のイメージは、その程度では不満のようだ。現在のように多くが生活保護に頼るのではなく、きちんと地域で働いて自立した生活を送り、やがては納税者として国を支える段階になって一人前、というビジョンのようだ▼そこで、次に問われるのが「働く」ということ。依存症者がダルクで一定の回復をしても、現下の厳しい就労環境の下ではハローワークに行っても、まず仕事に就くことは困難だ。世間の“常識”からは「不景気で健常者の一般就労さえ難しいのに、ヤク中やアル中に仕事なんてあるはずがない」となる。ましてや「自分は依存症です」と正直にカミングアウトすれば、紹介先企業で面接に漕ぎつけてもます100%拒絶されるだろう。現状では「障害者枠でなら就労の可能性はある」(ハローワーク)というように、かろうじて福祉的な就労枠に収まるしかないようだ▼もっとも、ダルクをつくった近藤恒夫さんは「ダルクはハローワークではない」と言い切る。「仕事をしたければ、あくまで自分で見つけること。ダルクは仕事の紹介はしない。なぜなら失敗(スリップ)した時の言い訳に使われるから。ダルクの紹介で行ったのに賃金は安いし仕事もきついと、必ず自分を棚に上げて言い訳に使われる」と。そのために施設内で様々な役割を与えたり、ミーティング場に自力で行かせるなど生活自立訓練をプログラムに加えて工夫している▼でも、その程度では就労への意欲喚起や動機付けには結び付かないのもダルクの悲しい現実だ。そこで各種の助成を得たりして自助努力により、主に農業を中心とした特産品開発や自前の農場整備に力を入れるダルクも現れている。独自にラーメン屋やレストランに挑戦しているケースも散見される。それら個別の取り組み状況は分からないが、いずれも厳しい社会環境の下で何とか活路を見出そうと、ダルクの真骨頂である当事者主義の秘めたるマンパワーを生かしていることは確かだ▼相変わらず日本では「(男は)働いてこそ一人前」「働かざる者食うべからず」との風潮が根強い。でも、その一方で、巷には何をしているのか分からないけど、一家言持つ遊び人風の反骨おやじや、博識があり子供たちに妙に慕われた趣味人がいた。昔は世間の目が粗く、こうした“落ちこぼれ”的な人生を「必要悪」のように反面教師として認めていた。でも今は社会がぎすぎすして余裕をなくし、すっかり世知辛くなって「余計者」の存在を許さなくなった。ダルクが日陰者なのはいいとして、急速に息苦しさが増しているダメな社会だからこそ、ダメな人たちがいることは救いなのに…。
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