元新聞記者による辛口コラム・エッセー、イラストと写真です。ご意見ご感想をお気軽にお待ちしています。(記事・画像の無断転載と無断複製・配布を堅く禁じ、万一発見した場合しかるべき処置を取ります)
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ある小規模地方紙の廃刊について思うこと~極私的総括4
 J新聞は本当に県南、土浦地域において存立基盤を持ち、評価されてきたのだろうかという疑問は僕の中にわだかまりとして、ずっとあった。(当時、全国の小規模、零細地方紙でつくるマイナーな)郷土紙連合加盟紙の中で、J新聞が一番発行部数の多い数字を恥ずかしげもなく掲げることにいつのまにか無神経になりながらも、せめて数万部なら矛盾も少ないのにと思い当たる場面が何度かあった。
 曲がりなりにも日刊新聞の持つ幻想力にあぐらをかき、「真実を報道する」新聞が実体としての発行部数に目をつむって自分たちを虚飾でもって塗り固め、「読者や市民の知る権利に応える」と開き直ってきた長年のつけが、メーンバンクの撤退による混乱で一挙に吹き出たように思った。等身大の経営とひとことで言うのは簡単だが、そうした謙虚な姿勢をもった新聞づくりで3度目の出直しを図れないないかと自問し、思い切って新年号で独自の企画を提案した。
 それは明るいビジョンの描けない先行き不安な時代に逆に、反面教師というか世間から距離を置いて生きている二人の対談を実現させてみたいという、個人的に温めていた企画だった。具体的には茨城町の涸沼湖畔に住む自由詩人、白田美鶴さんと、八郷の筑波山麓に住む反骨の書家、北村馬骨さんの対談を見開き2ページで掲載したことだった。僕は元旦の紙面で恒例となっている橋本県知事らのインタビューよりも力を入れた。恐らく、あの当時でさえJ新聞はそんなに長くないと考えていたのだと思う。とにかくやれることはやっておこうという切迫感もあった。
 翻って考えると、自分自身は「もの書き」としては弱い資質なのだと思う。僕の中には「ものを書く」という行為がとても気恥ずかしく、しかも人間的にはどこか余計な営みであるという思いがある。新聞は情報を伝えるコミュニケーション言語を本質としながらも、一方の極には文学や芸術と同じように自己を表出する側面が宿命としてあり、それだけに書きっぱなしは許されず、自己責任を伴う重い表現行為なのだということに自戒を込めて仕事をしてきたつもりだ。
 もちろん、新聞という形で自分の記事が表現として(未熟だとしても)完結してあることには、ある種の達成感や満足感が得られたことも疑いない。でも、僕にはそれらを差し引いても、自分の原点において、どこかものを書くことの「気恥ずかしさ」と「怖さ」はぬぐえなかった。そうした資質面での弱さを踏まえながらも、報道部記者たちの懇願を受けて再度、編集局長を引き受けてからは、まるで脅迫神経症のように毎日の新聞づくりに神経をすり減らした。
 なんとか自分の色合いを出しながらも、これでいいのだろうかと悩む毎日で、J紙の置かれた条件下で、完璧を期すことなど不可能だとは分かっていても、できるだけミスをなくそうと紙面への気配りや目配りをしてきたつもりだった。しかし、もはや現実の仕事量は僕の能力などを超えて既に物理的な面で限界を超えており、むしろ逆に自分の管理能力や事務作業における能力のなさを思い知らされるばかりの日々だった。
 自分の無力を認めることは、薬物依存症なら回復のスタートになるが、新聞づくりには言い訳にもならない。商品価値のない紙面を読者に提供することは申し訳ないと、毎日プレッシャーに押しつぶされそうで、翌朝にミスを見つけたりすると暗澹たる気持ちになった。一方で、営業実績を少しでも伸ばしたいと下支えする仕事も引き受け、営業サイドからの期待を感じるだけに、ない知恵を絞って全力投球せざるを得なくなった。安請け合いではないが、要は力もないのにあれもこれも過剰な責任感から引き受けてしまい、身動きが出来なくなった結果、自分自身で幕引きを図らなければならなくなったとも言えた。
 おまけにその頃、家庭の事情ものっぴきならない状況に追い込まれ、長男の自傷行為と破壊行為に、もはや妻だけの力では抑えが効かなくなり、養護学校にいる間はともかく、帰宅してからの時間は僕がいないとどうしょうもない状況になっていた。施設に預けようにも激しい自傷行為に「何かあったときに責任がもてない」と断られ、この後は「薬漬け」にするしかない段階に立ち至ってしまい、とても思い悩んだ。それだけはしのびないので新たな方途を模索したが、うまくいかなかった。
 おまけに妻の糖尿病悪化に加え、僕の糖尿病も数値が悪くなり、この先の健康維持を無視できなくなったことも無視できなかった。そうした事情から、もはや精神的も肉体的にも限界と考え、僕はJ新聞における自分の仕事の幕引きの時期と決断した。でも、こうした自分自身の内面の落ち込みや家庭の事情はともかく、J新聞を取り巻く現実に対して、本当はそんなに真剣に考える必要はなかったのかもしれない。ナイーブすぎるという批判もあるだろう。そんなことをいちいち気にしていたら、新聞経営など成り立たないとの立場論もあると思う。実際、僕が辞表を出した後もJ新聞は結構しぶとく発行され続けたのだから。
 ただ、僕は経営戦略とは別な意味で、新聞が新聞として地域に信頼され、自立するという立場に立つならば、はったりや脅し、社主の思惑を背景に特定の利害を優先した記事を得意げにふりかざす心情には付いて行けなかった。新聞づくりの最低限の倫理というか、矜持を保てなくなったら、潔くその場から去ろうとは以前から決めていたことだった。

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自己車両の汚れ防止に落とされたツバメの巣。

テーマ:ニュース・社会 - ジャンル:ニュース

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