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元新聞記者による辛口コラム・エッセー、イラストと写真です。ご意見ご感想をお気軽にお待ちしています。(記事・画像の無断転載と無断複製・配布を堅く禁じ、万一発見した場合しかるべき処置を取ります)
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ある小規模地方紙の廃刊について思うこと~極私的総括3
 零細地方紙にもかかわらず、半世紀以上も県南・土浦の地に存在したJ新聞が、ついに力尽きて早くも2カ月半が過ぎた。思えば僕が、この新聞社に世話になろうと思ったきっかけは、当時はまだ社主だったIさんがライフワークとする霞ヶ浦問題への取り組みに触発されてのことだった。
 それ以前僕は、やはり当時、水戸市中心部にあった異色のS新聞(ここも既に廃刊)に在籍していた。S新聞は戦後間もなく、J新聞よりやや遅れて全逓労組を中心にしたレッドパージ組が創刊した新聞で、共産党にシンパシーを抱く傾向の社員たちが多かった。いつか機会があれば、この新聞についても書きたいが僕の体質にはとても合っていた。とにかく「縛り」が少なく、比較的、自由に書きたいことを書かせてくれた。でもS新聞もJ新聞に先んじる形で経営状況が厳しなり余力や余裕を持てなくなっていた。
 それに従い、僕もだんだんと居場所がなくなり、窮屈な思いを抱くようになった。そんな折、環境保護のキャンペーン記事だったのかもしれないが、僕が涸沼(茨城町と鉾田市の一部にまたがる汽水湖)の浄化問題の連載に取り組むことになった。その頃J新聞は、Iさんが盛んにライフワークとする霞ヶ浦問題に取り組んでいた。
 地の利を生かした細かな現地取材と豊富なデータ取材と適確な分析力、何よりも幅広い人脈に支えられたネットワークには脱帽だった。僕の連載記事など、とてもIさんの足下にも及ばない、もの真似にもならないレベルだったが、涸沼の浄化問題をテーマに連載企画に取り組んだことで、Iさんの優れた仕事ぶりに触れ、とても刺激を受けた。
 「茨城にもこんな気骨のある腰の強いジャーナリストがいるんだ」と思い、当時S新聞で「―は仕事ができると思い上がって、好きな記事ばかり書いている。いい気なもんだ」「おまえもM(この人もS新聞からJ新聞に移り、編集局長を務めた)と同じで、S新聞を利用するだけの存在だな」という陰口や批判にさらされ、ひどく居心地が悪くなっていたので、思い切ってIさんの下で世話になろうと思った経緯がある。それで思い切って1996(平成8)年秋に、J新聞に移ったのだった。
 それに個人的な事情もあった。当時、僕は水戸市内の実家に住んでいたが、既に両親は他界しており、結婚した相手の両親が高齢だったので、県西地域のまちにあるカミさんの実家に移ろうと決意しタイミングを見計らっていた。子供も小さかったが、たまたま水戸市の那珂川べりのアパートに住んでいた知人が、洪水対策で集団移転を求められて新たに家を探していたこともあり、僕の実家を使ってもらうことになったのだった。
 僕の場合、重いダウン症の長男を抱えていることからカミさんだけでは立ち行かない場面が数多い。思いがけないトラブルやリスクが多いので勤務条件にもある程度、「家庭の事情」を配慮をしてもらわなくてはならない。それに一家で県西のカミさんの実家のあるM町に移住した場合、水戸市のS新聞に毎日、車で通勤するのは実質的に困難だった。また、S新聞ではそうした僕の個人的な事情で勤務先を県西支局に移すこともままならなかったので、J新聞への転職は個人的な都合にも合致していた。
 結果的にJ新聞は入社後、僕のそうした家庭の事情にも配慮してくれた。そうしてルーティンを県西地域に限定させてもらったことで、困難な子育てや家庭生活と記者としての取材活動をなんとか両立できる下支えをしてくれた。これには深く感謝している。これにより僕は幸運にも、ライフワークとなるダルクの連載や教育関連企画などにも取り組むことができ、人生における最も働き盛りの40代と50代前半に及ぶ約13年間の記者生活を、J新聞でそれなりに充実した形で過ごすことができた。
 入社当時でさえ小規模零細のJ新聞の経営環境は厳しかったが、なんとか持ちこたえた。まだ地域にもJ新聞を許容する要件があり、経営環境はにっちもさっちもいかないという目詰まりまでにはいっていなかった。しかしここ数年、僕が入社した当時と比べると新聞を取り巻く時代や状況はすっかり変わってしまっていた。
 いつのころからか、この国は頭のてっぺんからつま先までカネが全ての価値観にすっかり汚染されて、曲がりなりにも受け継がれてきた古き良き伝統文化や日本的な道徳や倫理観をすっかり失ってしまったかのようだ。文化だけでなく福祉や教育などもカネになるかどうかの基準でしか根付かないのがこの国の実態だろうから、地方の文化の担い手である小規模地方紙などは、疲弊著しい経済状況にのみこまれるのは時間の問題だったとも言える。
 どんなに高邁な理想を掲げようとも、所詮は廃刊の憂き目にあったJ新聞もS新聞も商業紙であることに変わりはない。曾有の経済危機の中では、それでなくても経済基盤の弱い小規模零細の地方新聞はひとたまりもない。よくJ紙やS紙は体躯が小さいから、それほど影響は大きくない、図体の大きい県紙の方が経営という面からいえばより大変だ、という声を役員側から聞いた。そうかもしれないが、僕は他社の危機を引き合いにして、自分たちの傷の深さを少しでも回避する方便のように思えてならなかった。J新聞に限らず新聞が、ある意味で宿命的に赤字体質をさらけだしてきたことは疑いないが、それを経営面で正当化する心情には違和感を抱く。曲がりなりに60年の歴史を刻んできたのは事実だとしても、本当にJ新聞は県南土浦地域において存立基盤を持ち、評価されてきたのだろうか、という疑問は僕の中にわだかまりとしてあった。(続く)

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テーマ:ニュース・社会 - ジャンル:ニュース

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