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元新聞記者による辛口コラム・エッセー、イラストと写真です。ご意見ご感想をお気軽にお待ちしています。(記事・画像の無断転載と無断複製・配布を堅く禁じ、万一発見した場合しかるべき処置を取ります)
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茨城ダルクと刑の一部執行猶予制度
 ダルクに“ムショ帰り”の人たちが増え始めたのはいつ頃からなのだろう。僕とダルクとの付き合いは20年近くになるが、足繁く通った茨城ダルクは代表の岩井喜代仁さんの色合いを反映して、過去に暴力団に加わっていた人たちが比較的多かった。何度か受刑生活を経験して行き場がなく、紆余曲折を経て茨城ダルクに漂着した人が多かったように思う。そうした元ヤクザのシャブ中に次いで多かったのは、暴走族上がりのシンナー少年だった▼岩井さんも当時、学校講演で「覚醒剤は問題だが、シンナーはもっと怖い。中学1、2年生から始めて脳みそを溶かしてしまう。若いのに壊れ方が半端じゃない」などと盛んに警鐘を鳴らしていた。今では行政の信頼がひときわ厚い栗坪千明・栃木ダルク代表も、かつては暴走族のリーダーとして日の出暴走を指揮し、シンナーから覚醒剤へと依存した薬物履歴を持つ一人。彼もまた茨城ダルクに入寮したての頃は顔つきが険しく、近づき難い存在だったことを覚えている。セルシオに乗って茨城ダルクにやって来た現役ヤクザだった平原薫・秋田ダルク代表も、当時は極道らしく凄みを利かしていた▼そうした環境だったからか、茨城ダルクは誰言うとなく「ダルクの網走番外地」、施設環境が劣悪だとして「もっとも行きたくないダルク」などとダルク内でも敬遠されていた。しかし、岩井さんは「やんちゃな奴ほどかわいい」「鍛え甲斐がある」と親しみを持ち、寝食を共にして彼らとの共同生活を楽しんでいた。そうして巧みな指導力で彼らの何人かを次世代のリーダーに育て上げた。誤解を恐れずに言えば、その後継者育成の手法はヤクザ時代に培ったノウハウを彷彿とさせた。義理と人情を重んじる岩井さんだからこそ可能だったと言えるだろう▼その後、岩井さんは請われて刑務所へのメッセージに入る回数が多くなり、仮釈放の身元引受人の依頼が増え、受刑者との文通も多くなった。もっともムショ帰りの依存症者を受け入れることはリスクを伴ったようだ。施設への定着率の悪さである。わざわざ満期出所でダルクの門を叩くムショ帰りはまれだが、もともと「仮釈狙い」は腰を落ち着けて回復プログラムに取り組む姿勢に欠ける。順法意識も低く、何よりもステップの第1である「自分の無力を認める」ことをしない▼任侠道を歩んできたムショ帰りの依存症者は「力(暴力)こそ正義」の身上で生きてきただけに、その人生観をなかなか捨てきれない。どうしてもパワーゲームに酔いしれたがる。同じ傾向の入寮者仲間を巻き込んでは、さまざまなトラブルを引き起こし、他の入寮者からうとまれていたように思う。しかし、そこは蛇の道は蛇。岩井さんはシャブ中地獄に落ちる前の青年期の一時期には90人近くの組員を引っ張ってきた過去があるだけに、彼らの扱いにはたけていた。古びた一軒家とプレハブ棟の厳しい環境下で、個性あふれるパワフルな回復者をよく育てたと思う▼これは岩井さんのダルク戦略が影響しているのかもしれないが、今と比べると彼らには自分も岩井さんのようにリーダーシップを発揮して、新しいダルクをつくろうという情熱があった。その評価は分かれる部分もあるだろうが、深刻な処方薬依存が多くなり、引きこもりがちな依存症者が増えた現在のダルクとは対照的な姿に思える。そして今回、覚せい剤事犯者らを対象とした刑の一部執行猶予制度の法改正がなされ、3年後には施行されることになった▼薬物事犯者の再犯防止や受刑者の過剰収容の緩和、社会の中で受刑者の更生を図る「社会内処遇」に道を開くとして期待されているようだが、実際にはダルクが受け皿として機能させられるのだろう。既に自立準備ホームとして受刑者を受け入れているダルクもあるようだが、国の基準に合わせることが、ダルクの持つダイナミックな回復原理を損なわないか、個人的には懸念を抱く。それだけに世間の「常識」にとらわれることなく自由奔放に、もっともダルクらしく行動してきたダルクの異端児、岩井さんの意見をぜひ聞きたいと思う。
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