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岩井喜代仁代表が県知事表彰受ける/開設20年の節目に花を/平成23年度茨城県民健康づくり表彰式/茨城ダルク
 -薬物依存症の民間リハビリ施設「茨城ダルク・今日一日ハウス」は今年、大きな節目を迎えた。結城市上山川の農村部に根を張って20年、かつては反対運動に遭うなど逆風が強かったが、今や地域の風景に違和感なく溶け込んでいる。「薬物依存は非行や犯罪ではなく、回復できる病気」を訴え、自助努力で回復活動を続ける一方、地域貢献のボランティア活動に励み、入寮者による和太鼓演奏も出演要請が増えた。改めて「継続は力」を思わせる。これを支えたのが、一貫して運営にかかわる岩井喜代仁代表(65)だ。薬物依存症者の当事者として、岩井さんもまた茨城ダルクで回復・成長した。


 今月22日、水戸市の県庁9階講堂で開かれた「平成23年度県民健康づくり表彰式」。岩井さんは被表彰者の一人として名前を呼ばれ、緊張した面持ちで起立した。既に2010年度に県福祉部長賞を受賞しているが、今回は県の健康づくり推進事業功労者として橋本知事からの感謝状を受け、記念となる茨城ダルク20年の歩みに花を添える形となった。
 「感慨深い。後進のリーダーたちにも大きな励みになる。薬物依存症の仲間の手助けを地道にやっていれば、元ヤクザの組長というハンディを抱えた身でも県知事から表彰されるんだ。この20年間に茨城ダルクにつながった多くの仲間たちや支援者一人ひとりにひたすら感謝だね」
 好好爺の風貌でそう語る岩井さん。20年前、縁もゆかりもないこの地に登場したころとは別人のように、その表情は温和になった。「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」―岩井さんの茨城ダルクでの20年は、この教えに沿うものだった。

 ■機関車のように全国を疾駆
 ダルクとは英語のドラッグ(薬物)、アディクション(病的依存、嗜癖)、リハビリ(回復)、センター(施設、建物)の頭文字を取った略語。アルコールはもちろん覚せい剤やシンナー、大麻、MDMAなどの違法薬物、さらには市販の咳止め、痛み止め、病院の処方薬など合法薬物に依存した人たちが、これら依存薬物を使わないで生きる訓練をする居場所となっている。
 この20年間、岩井さんは本県を主舞台にしながら機関車のように全国を駆け回った。当初は公的な場面でも構わずにナイキの野球キャップを斜めに被り、トレパンやジーンズ姿で登場し、定型に囚われない無手勝流でダルクの必要性を訴えた。そのうちにWのスーツに身を包み、若手組長としてならしたイメージを時折ほうふつとさせるスタイルで、独特の存在感を示した。今ではダルク創設者の近藤恒夫氏(70)=日本ダルク代表=と双璧をなす“ダルクの顔”となっている。
 岩井さんは積極的に後進の若手リーダーを育成し、ダルクのなかった東北、日本海、山陰、山陽地方などにダルクを設置。今や60以上に増えたダルク全体の3分の1以上を占めるまでに系列グループを普及させた。日本的な「共依存」の風土では避けられない家族問題にも向かい合い、家族会の運営に早くから取り組んだことも特筆される。全国各地に家族会を立ち上げ、全国組織の全国薬物依存症者家族連合会(薬家連)も発足させた。
 一方、苦手な行政にも積極的に働き掛けて、相談窓口の設置を県精神保健福祉センターや地域の保健所に促したほか、県立こころの医療センター(=旧県立友部病院)との連携により全国のモデルケースとなる「茨城方式」の治療と回復の図式を根付かせた功績も無視できない。今も報われていないが、3度の社会福祉法人化への挑戦は岩井さんの中で貴重な経験として血肉化されている。
 法人施設立ち上げには至らなかったが、ダルクに代わる全国初の地域の受け皿として2010年にNPO法人茨城依存症回復支援協会(略称IARSA)の発足に尽力し、精神疾患などを併発した行き場のない依存症者らの終の住み家として機能し始めた。ほかにも、ダルク一の数をこなしてきた記録的な薬物乱用防止学校講演や、全国に数少ない女性専用の薬物依存症施設(女性シェルター)の設立にも力を注いできた。
 各地のダルクがNPOなどで法人化施設となったのを横目に、岩井さんはニュートラルな立場を真骨頂とするダルクの流儀に忠実な施設運営に努め、茨城ダルクを任意団体のままとして「独立ダルク」の立場を堅持している。そのため公的な援助が一切なく、施設運営は常に綱渡り状態が続いているものの、岩井さんはみんなが忌避する汚れ役や憎まれ役を積極的に買って出ている。

 ■あくなき新たな課題への挑戦
 今や1県1ダルク時代も間近な発展ぶりだが、茨城ダルクは「ダルクの網走番外地」などと仲間たちからも厳しい風評を立てられながら、岩井さんは若い頃に任侠道で鍛えられた義理と人情、面倒見の良さで「来る者は拒まず」「去る者は追わず」という初期ダルクの原則に忠実な運営を守っている。しかし、そうした理想を追い求める姿勢も困難な局面を迎えている。
 岩井さんによれば、ここにきて制度の枠に収まりきらないような入寮者が急増している。依存薬物の多様化と高齢化、重複障害化、生活保護頼り―など、もはやダルクの手に余る難題が押し寄せ、施設運営を圧迫しているという。疲れを知らないほどパワフルだった岩井さんも09年1月に脳梗塞で倒れた。後遺症は残らなかったというが、これを機に自身のケアに努め、再度ダルクの原点に立ち返って今後の施設運営のビジョンを模索している。
 国も薬物事犯者の社会内処遇やドラッグコート(薬物問題の専門裁判所)に向け、やっと重い腰を上げ始め、薬物依存症者の刑事的な処遇改善問題(刑の一部執行猶予制度など)では、依存症問題のパイオニアともいえる貴重な社会資源としてのダルクに期待を寄せている。まだクリアすべき課題も多いが、遅ればせながら国も依存症政策では明らかに転換期にある。
 岩井さんは「ダルクを取り巻く環境も確かに変わった。俺たちダルク第1世代のように、破天荒で個性ある強いリーダーが仕切るより、そつなくスマートに施設をまとめ上げるような若いリーダーが求められる時代なのかもしれない。ただ、ダルクの原点は経済合理性や効率性では割り切れない、理屈を超えた人間本来の絆の強さにある。国の意向や規格に無理やり自分たちを合わせたり、本音を押し殺して世間に媚びを売るのはごめんだ。荒削りでも俺は今まで通り、自分の回復を第一義に茨城ダルクを泥臭く運営していくよ」と結んだ。

岩井喜代仁(いわい・きよひろ)】1947年京都生まれ。民間の薬物依存症者の社会復帰施設、茨城ダルク今日一日ハウス及び女性シェルター代表を務める傍ら、筑波大学・中央学院大学の非常勤講師も受け持つ。自ら薬物依存に陥り、ダルクで回復プログラムを終了。結城市にある茨城ダルクに20年にわたり勤務、現在に至る。

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県知事表彰を受け、感慨を新たにする岩井さん。2月22日に水戸市の県庁で開かれた「平成23年度県民健康づくり表彰式」で
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