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元新聞記者による辛口コラム・エッセー、イラストと写真です。ご意見ご感想をお気軽にお待ちしています。(記事・画像の無断転載と無断複製・配布を堅く禁じ、万一発見した場合しかるべき処置を取ります)
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依存症者社会復帰施設、茨城ダルクの20年。岩井さんのあくなき挑戦を振り返る1 茨城県結城市

       茨城方式が全国のモデルケースに
 
 この20年の間、岩井さんは機関車のように全国を疾駆してきた。とにかく茨城ダルクの存在を世間に知ってもらいたい、薬物依存症者にも回復の権利があることを認めてほしい、そのためにこの国の遅れた薬物依存問題の現状を知ってもらい、一人でも多くの人に理解と支援を求めたい――と、アモルフ(定型に囚われない)な無手勝流のスタイルで訴えてきた。当初は公的な場面でも構わずにナイキの野球キャップを斜めに被り、トレパンやジーンズ姿で登場していた場面が、ぼくにはとても懐かしい。そのうちにWのスーツでばっちり決め、かつて任侠道時代に若手組長としてならしたイメージを時折ほうふつとさせるスタイルで、独特の存在感を示した。今では近藤さんと双璧をなす“ダルクの顔”となっているのは周知の通り。
 それだけに岩井さんの依存症問題における功績は大きいのだが、まず第1に指摘したいのはダルク未設置の地方への普及だろう。その評価はグループ化の問題とも絡んで分かれる部分もあるようだが、熱心に後進の指導に取り組んできた現実は無視できない。ダルク未設置だった東北、日本海、山陰、山陽地方などにダルクを設置させ、今や関連施設を含めると70近くに増えたダルク全体の3分の1以上を占めるまでに茨城ダルクの系列グループ? となるダルクを各地に普及させたことが挙げられる。
次に、日本的な共依存の風土では不可避な家族問題に、果敢に取り組んだことも特筆される。岩井さんは、今では多くのダルクが取り組む家族会の運営に早くから取り組み、茨城ダルク家族会を母体に各地にブランチの家族会を立ち上げ、さらには全国組織の薬家連(全国薬物依存症者家族連合会)も発足させ、自ら事務局長(後に退任)を引き受け、ひとり立ちできるまでに薬家連を下支えしてきた。岩井さんはかつて、自らもスペインの薬物依存回復施設プロジェクト・オンブレで研修を受け、同施設のプログラムを日本に導入し、家族の回復に役立てている。
岩井さんは元ヤクザのハンディを抱えながら、跳ね返されても跳ね返されてもめげることなく果敢に困難な現実の壁に挑んできた。当初から積極的に行政に働き掛け、相談窓口の設置を県精神保健福祉センターや地域の保健所に促した。家族にすれば警察には相談できなくても身近な保健所には足が運び易く、世間体を気にして潜在的に苦しむ家族には大きな励みとなった。こうした功績が評価されて茨城県福祉部長賞も受けている。
 さらに薬物依存症に詳しい全国屈指の精神科医、中村恵さんと知己を得たことは岩井さんの活躍の舞台を大きく広げた。中村さんが副院長を務める県立こころの医療センター(=旧県立友部病院)はダルク入寮者の「解毒入院」に積極的に協力してきた。こうして家族相談は地域の保健所(県精神保健福祉センター)が窓口となって本人はダルクに入寮してリハビリに励み、中毒症状の治療は県立病院が担う三位一体の治療と回復の図式が根付き、これは「茨城方式」として全国のモデルケースとなっている。

続く

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