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脱サラ農業青年 理想と現実に揺れながら新規就農を目指す中村淳さん(28) 茨城 つくば
 「20年後の日本農業に責任を持ちたい」―農業によって自分の生き方が変わり、生きる希望を見出した若者が“脱サラ”して困難な状況にある農業界に飛び込み、新規就農を目指して奮闘している。妻と1歳5カ月の幼児を都内に残し、単身赴任してつくば市内で農業研修に励む、東京都出身の中村淳さん(28)=同市高見原=がその人だ。3・11東日本大震災と東電福島原発事故による放射能汚染、風評被害によって出鼻をくじかれながら、農地も農機具も販路も何もない中で多難な日本農業の未来に強い使命感で挑もうとしている。理想と現実のはざまで葛藤する中村さんの農業への取り組みと意見に耳を傾けた―。

 中村さんの名刺には、控え目ながら自分を鼓舞するように「日本農業の未来を担う」の文字が刷られている。食糧自給率の低下、後継者不足と高齢化が著しいハンディばかりの日本の農業。TPP(環太平洋連携協定)問題でさらに自給率低下が懸念される。追い打ちを掛けるように、原発事故による放射能汚染問題で新規農業者が減ることが指摘されている。
 中村さんは子供の20年後を想像した。我が子が大人になる頃に日本農業は大丈夫なのか、食糧はきちんと確保できているだろうか、大事な命と健康は守られるのだろうか…。そう考えると「次世代に豊かな未来を与えるには、自分たち20代が今、頑張らないといけない。自分が目指す農業をやりたいじゃなく、やめられないという使命感に変わった」と複雑な心境を明かした。
 中村さんは20年後に日本の農業界が豊かになって、消費者が適正価格で農産物を購入し、農業者が農業だけできちんと食べられ、若い人たちが農業を盛り上げていく仕組みをつくりたい、農家の努力が報われる社会にしたいと力説。「日本の農業の将来について自分たちの世代は責任がある」と強い使命感をのぞかせる。
 日本の農業の仕組みや方向を決めるのは高度な政治問題には違いないが、農業が疲弊・衰退してきたことは、この国の貧しい農政の歴史が実証済み。それだけに現場から声を上げ、自助努力で少しずつ現状を変えていくしかない、と中村さんは抑制的に訴える。


 ●農業との出合いで変わる

 中村さんは都内で農業とは無縁なサラリーマン家庭で育った。高校に進学したものの、親に逆らって中退した。仕事への意欲や生きる目的が見つからないまま、たまたま募集していた長野県の高原レタスの栽培農家で働いた経験が、その後の中村さんの人生を大きく変えるきっかけとなった。
 ここでの住み込みでの仕事はきつく、朝4時から夕方遅くまで働き通し。3カ月で1年分の収入を得るような勢いで、ひたすら力仕事だった。前任者が2日で逃げ出した後だけに、なんとか踏ん張った。結果的に農業によって仕事の厳しさを教えられ、農家の温情でぐーたら人間だった自分が立ち直った。
 世話になった農家の人から「高校だけは出ておきなさい」と諭され、定時制の普通高校に入り直した。大学にも進学して経営情報学部で学び、卒業後は玩具メーカーの関連会社に就職して5年間勤務した。その会社は社員の企画提案を歓迎し、事業化する動きが盛んだった。中村さんも温めてきた農業について企画提案したが、社内事情から採用されなかった。
 しかし、中村さんの農業への思いは募るばかり。思案した挙句に、それなら脱サラして自分で農業をやろうと決意。青汁の生産で知られる農業生産法人「ベルファーム」(つくば市下岩崎)で、今年3月から農業研修に励んでいる。同社は、ニンジンやケール栽培で独立を目指す就農希望者をニューファーマー育成支援事業の研修生として受け入れ、既に就農実績もある。


 ●出鼻をくじいた3・11

 研修が始まって間もなく、まったく予想していなかった東日本大震災に見舞われた。中村さんの研修期間は1年間で、もともと「1年間だけは頑張る。それで独立できなければ諦めて東京に戻って働く」ことで、妻の理解を得ていた。新婚間もない若い夫婦が不安定な別居生活。妻は保育士として働いており、手のかかる幼い生命を前につらい思いは十分に理解できた。
 折悪しく、これに輪を掛けて原発問題が妻を苦しめた。行政などの調査結果では、茨城産の農業生産物は安全性が確保されている。しかし、3次被害とも言うべき風評被害が重くのしかかり、妻や周辺の人たちの「茨城産」農産物への不安感は募るばかり。それでなくても農業は台風など自然災害で影響を受けやすい。今後、原発災害で果たして農業をやっていけるのかとの懸念は強まる一方だ。
 妻は早く東京に戻ってほしい、と願う。いくら農業に対して夢や希望、使命感を訴えても、現状では中村さんに妻を十分説得できるだけの材料がない。「本当に農業でやっていけるんだ」という形を示さなければという焦りにも似た心境に追い込まれ、中村さんは「このままでは先が見えない。妻子をどう食べさせていけばいいのか、自分のことだけで家族に苦労をしょわせていいのか、もう農業は諦めた方がいいのでは、少しでも汚染の少ない土地で農業ができないか…」と悩む日々が続いている。


 ●国産ザーサイに挑む

 そんな折、山梨県で農業をやっている知り合いが農地や農機具を貸してくれることになった。長い目で農業をやりたいと思っていたので、今はこのチャンスに乗りたいと考えている。現地を見て、条件がよければ、できるだけ早く移りたい考えだ。
 肝心な主力作物だが、知り合いの助言もあり、まずは中国野菜として消費者に人気のザーサイ生産に挑むことを決めた。ザーサイの生産農家は国内では7軒ほどで、日本の気候や風土でも十分に生産できる。寒くなる時期の栽培生産なので草管理は夏ほど大変ではない。今後、需要が見込める作物だという。
 珍しいものをつくっていくことで現状打開を狙う作戦だが、いくら農業に対して高い志を持っているとしても、農業で「食える」ようになるまで耐えられるかが大きな課題。将来的には米も作りたいが、機械など初期投資を考えて多品種小規模農業を目指す方針だ。契約栽培で無農薬有機農業にこだわりたいという。インターネットで会員制の販売も開拓したいと夢は膨らむ。


 ●理想と現実のはざまで

 中村さんが農業を始めるきっかけは「消費者が農業を支える仕組みをつくりたい」だった。妻に対して申し訳ないという気持ちと農業を続けなければという強い使命感という、理想と現実のはざまで揺れながら「今はひたすら頑張るとしか言えない。そうして自分の目指す農業をなんとか軌道に乗せたい」と決意を示している。
 その上で「僕を変えてくれた農業が粗末に扱われ、不安視されていていいのか、僕が何かの形で恩返しできないか、悩みながらも日本の農業を輝かしい未来あるものにしたい」「福島や茨城産の農産物は…、という言葉ひとつが日本の農業の未来を暗くして、農業に希望を託そうとする意欲ある若者たちの農業参入を阻んでいることに気づいてほしい」。しばらくは中村さんの葛藤の日々が続く。


中村淳さん

間もなく定植するザーサイとレタスの苗を大切に育てる中村淳さん。「小さな苗が子どものようにかわいい」と話す=つくば市高崎の協力農家で
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