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被災地復興に尊徳精神を/平成23年10月に茨城県桜川市で「全国報徳サミット」開催/史跡「青木堰」啓発の好機に
 江戸時代後期に、荒廃した農村や藩財政の再建復興に大きな成果を挙げた二宮尊徳(通称・金次郎、1787-1856年)の教えと実践を今に生かそうと、尊徳ゆかりの市町村が集い合う「第17回全国報徳サミット桜川市大会」が今年10月、同市を会場に開かれる。筑西市大会(2007年)以来、本県では2度目の開催。今回は、未曾有の被害をもたらした東日本大震災からの本格的な復興の時期と重なり、特別な意味を持つ。原発被災地である福島県内市町村の参加には困難も予想されるが、文字通り「報徳思想」の原点が試される大会となりそうだ。準備が本格化する中、桜川市大会の意義などを考えた。

 二宮尊徳は現在の小田原市で裕福な農民の子として生まれた。水害や両親の死、一家離散、生家の没落など少年時代に過酷な運命に遭遇。貧困に負けず勤労と勉学に励み、自らの才覚で生家を復興した。小田原藩主に手腕を認められ、桜町領(真岡市)の復興の命を受け全財産を売り払い、34歳のときに桜町陣屋に赴任。自ら先頭に立ち、用水路や堰や橋の改修を行い、復興事業を見事成功させた。
 その経験を生かし、武家の財政再興や村落復興も次々に成功させ、尊徳の名は各地に知れ渡った。全国600余りの村々を復興させ、弟子たちを育成、晩年には幕府の役人に登用され、現在の日光市で70歳の生涯を閉じた。
 こうした功績から戦前の日本では金次郎像が各学校にあり、修身の手本として尊徳思想を普及させた。戦後は、戦争遂行に利用されたマイナスイメージから否定的に扱われ、高度成長時代にはストイックな精神の色合いから長く関心外にあった。しかし、尊徳の真髄は改革者、教育者、道徳者など多彩な顔を持ったマルチ人間であり、データ主義とノウハウ伝授の実践的な農政思想家でもある。
 ●桜川市大会の意義
「今回ほど、報徳思想の意味やその実践が問われる大会はない。時代は違っても、大規模な自然災害で人々の精神や地域の疲弊状況は酷似している」。郷土史家で地元の尊徳研究の第一人者として知られる、元市教育委員長の舘野義久氏(78)=同市青木=は今大会の意義を強調する。同市における尊徳の偉業顕彰と復権の好機となり、実践の主体である首長や職員には「とても大事な大会となるはず」と指摘する。
 舘野氏は、報徳サミットには合併前の大和村が直接、尊徳ゆかりの地だったことから第1回から参加している。サミットは、江戸時代に農村復興に尽力した農政家、農政思想家だった尊徳の指導と恩恵を受けたゆかりの市町村が加盟する全国報徳研究市町村協議会を組織し、加盟18市町村の持ち回りで開催(開催地との共催)している。
 大会は、各地の取り組み事例の研究や情報交換、経験交流などを行い、疲弊した江戸時代の農村や農民を数多く救った尊徳の地域復興策である「報徳仕法」に学び、その根底にある「至誠」「勤労」「分度」「推譲」の教えを、現代のまちづくりや人づくりに生かそうと続けている。
 ●「青木堰」の盛衰
 舘野家のルーツをたどると、尊徳の「報徳仕法」を地元の青木村に実現させた立役者だった名主、舘野勘右衛門に行き当たる。
 幕府領から旗本の知行地になっていた青木村では、昔から村の田を潤した桜川の青木堰が急流で増水のたびに流され、莫大な改修費がかかるため、やっかいな堰となっていた。堰は壊れたまま放置され水不足が慢性化、収穫は激減していた。一時は130戸だった農家は離散や移住などで39戸に、約106㌶あった田畑は3分の1にまで減った。
 そこで勘右衛門ら村民は、こぞって尊徳に村の立て直しと堰の修復を何度も懇願した。当時、尊徳は桜町陣屋でこの地域の復興事業を手掛け、広くその名が知られていた。ついに熱意に打たれた尊徳は青木堰の建設に着手した。
 その結果、1833(天保4年)に難工事を従来より工期も短く費用も半分以下に抑え、予想外の独自工法で成し遂げた。一連の復興事業は「青木村仕法」と呼ばれた。村民は62戸に増え、 青木地区は豊かな農村地帯となり、現在では約200戸近くになっている。1951年に今のコンクリート堰になったが、こうした尊徳との関わりも地元の青木地区以外の関心は低いままだった。
 舘野氏によれば、合併により桜川市の史跡となったものの、長く岩瀬・真壁地区が笠間藩領であったことから市民には縁遠く、近くに雨引観音や桜川磯辺神社、真壁城や古い町並みなど著名な史跡や神社仏閣が多いことも影響しているという。それでも地元の「報徳碑」は存在を誇示し、近隣小学校には尊徳像が保存され、遠足で「青木堰」を訪れたり、社会科の郷土教育副読本に盛り込まれている。
 また、ここ3~4年は尊徳顕彰の機運が盛り上がり、地元有志らが実行委員会を立ち上げ、「青木堰」にかつてあった尊徳ゆかりのヨシノザクラを再び植樹し、同地に記念碑を建てて顕彰した。このほか、舘野氏が講師を務める市内公民館での尊徳講座には受講生も増え、東日本大震災で被災した南相馬市には約40人が3月末に白米などの救援物資を送った。
 ●本格的な準備段階に
 一方、桜川市の準備状況では昨年11月に中田裕市長を委員長とする実行委員会が発足、学識経験者や各団体代表や地区代表ら約30人が参加している。4月には第2回会合があり、開会要項を決めた。大会テーマは「報徳仕法から学ぶ『歴史を活(い)かすまちづくり・絆(きずな)をつなぐひとづくり』」となった。4月27日には前年大会の会場地だった福島県相馬市と正式に事務引き継ぎをし、サミットのシンボルである尊徳のブロンズ像を受け取った。
 大会プログラムによれば、第1日(10月21日)に参加市町村長らによる市内の尊徳関連史跡見学と同協議会の総会、交流会がある。2日目(同22日)は同市大和ふれあいセンター・シトラスを会場にサミットが開かれる。今大会の特徴となる地元の岩瀬小と大国小の児童らによる研究発表があり、参加首長らによるまちづくりのパネル討論と続く。基調講演は、尊徳に詳しい歴史作家を予定している。
 同市の報徳サミット事務局(市教委文化生涯学習課内)では「予期しなかった未曾有の大地震と巨大津波、福島原発事故による被災があり、まちづくりの手法も根底から見直す予想もある。今回、協議会加盟の市町村は個別に尊徳の教えである“推譲”に従い、いち早く支援に動いた。中田市長も4月に相馬市に支援に出向き、協議会も連携して福島県の加盟市町村への義援金を募っている」と協議会の横のつながりを強調している。

 【平成23年度全国報徳研究市町村協議会(加盟18市町村)】▽北海道=豊頃町▽福島県=相馬市、南相馬市、大熊町、浪江町、飯舘村▽茨城県=筑西市、桜川市▽栃木県=日光市、真岡市、那須烏山市、茂木町▽神奈川県=小田原市、秦野市、開成町▽静岡県=掛川市 御殿場市▽三重県=大台町

【報徳思想の四本柱】二宮尊徳の代表的な教え。少年時代、飢餓や天災に見舞われ両親が死に一家離散した中で、家を再興したい一心から、尊徳(当時は金次郎)は働きながら勉学に励んだ。また、学問の知識だけではなく勤労の大切さも学ぶことで、これらは実践的な思想ともいえる「報徳の訓え」として結実。具体的で日常の生活に沿った分かりやすい内実を含んでいる。報徳の訓えを一言で表すなら、人が他から受けた徳に対して徳で応え報いることを教えたもの。 最近は中国の大学で熱心に研究されている。
 その神髄は①至誠=人や万物を活かし、役立てることを進んでやろうとする“まごころ”のこと②勤労=知恵を磨き、工夫をし、各人の能力を発揮して結果をよくするよう“熱心にはたらく”こと③分度=現在の収入を天分とみて、その内輪に支出の度合いを定め、“自分に相応しい生活をする”こと④推譲=働いて得た余分を、家族や子孫のために貯えたり(自譲)、社会のために進んで譲る(他譲)こと。このように、至誠で勤労し、分度を立ててこれを守り、手に入れた収入を、後々のためまた世の中のために譲ることが報徳の道とされる。茨城県内にも「報徳」の地名を持つ地域は数多い。

青木堰

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