元新聞記者による辛口コラム・エッセー、イラストと写真です。ご意見ご感想をお気軽にお待ちしています。(記事・画像の無断転載と無断複製・配布を堅く禁じ、万一発見した場合しかるべき処置を取ります)
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本音のコラムNO-9「日本ダルク25周年フォーラムにおける近藤さんの涙の意味は」
 人は感情の高ぶりとともに、いろんな涙を流す。悲しいときの涙、苦しいときの涙、悔しいときの涙、嬉しいときの涙…。この夏、東京・浅草公会堂で開かれた「ダルク25周年記念フォーラム」(日本ダルクなど主催)で、締め括りのスピーチに立ったダルク創設者の近藤恒夫さんが流した涙は、美しい深い感動の涙だった。当方も含め会場を埋めた参加者の多くが、近藤さんの涙に誘われて目頭を熱くした▼それにしても近藤さんの涙を見たのは久しぶりだった。記憶をたどると、もう10年以上前になるだろうか、茨城ダルクが2度目の社会福祉法人施設の立ち上げに挑戦し、ダルクに理解を示す篤志家から土地の提供もあり、今度こそと希望が膨らんだ。事務手続きもクリアし、もう障害はないだろうと思っていたら、予期しないことに地元の土地改良区から反対の火の手が上がり、最後の段になって施設の排水を流す問題で暗礁に乗り上げた▼その準備会でのこと。長く社会福祉協議会で活動してきた支援者の一人が「法的なレベルでこの地にダルクを根付かせることは、時期尚早ということかもしれない。考えてみれば、この国ではハンセン病の患者さえ権利を回復するのに実に1世紀、100年以上かかっている。保守的な風土と地域社会の人権意識からすると、たかだか10年にも満たない茨城ダルクが法的な権利を獲得しようというのが土台、無理な話なのだろうか」と述べた。この後、深い沈黙が続いた▼突然、近藤さんが「どうしてダルクは、こうも地域から毛嫌いされるのだろう」と切り出した。「ぼくたちはそんなに悪い人間なのか。ダルクで犯罪が起こったか? ぼくらは毎日ミーティングをしながらクスリをやめようと、ひたむきに生きているだけなのに…。世の中には警察には捕まらないけど、権力を悪用して犯罪に手を染める悪いやつはいっぱいいる。そんなのに比べたら、ぼくらの存在は可愛いもんじゃないか」という意味の発言をした▼次第に感情が高ぶったのだろう。最後の方の言葉は涙声だった。「よく泣く赤ちゃんほど、いっぱいお母さんからおっぱいをもらえると言うだろう。難産だった赤ちゃんほど、よく育つって言うじゃないか。だからぼくらも、ダルクでもっともっと大きな声で泣こう!」――そんなことをアレゴリカルに話してくれた。思い入れが強すぎて、少し当方の脚色が強いかもしれないが、大要は誤っていないはずだ▼さて、ダルク25周年記念フォーラムに戻ろう。近藤さんはスピーチの中で困難だったダルクの創設期を振り返った。当初のメンバーは破天荒な猛者ばかり。アルコール、シンナー、覚せい剤…薬物なら何でもありで、アヘン窟になるのではと危惧した。クスリは少しもとまらず、トラブルの連続だけに警察に通報すれば話は簡単だったのだろう。実際、何度か受話器に手が掛かったけれど、近藤さんは一度も電話しなかった。どんなにヨレていても、彼らは同じ薬物依存症の回復を目指す仲間だ、という熱い思いが根底にあったからだ▼「25年間どんなに困っても、ぼくは一度たりとも警察に通報したことはありません。もしかして法律に照らし合わせると、僕の対応は正しいことではないのかもしれない」「でも、ぼくが警察に電話していたら、通報されて刑務所に行った人たちは2度とダルクには戻って来ませんよ。その人たちを全部通報していたら、ぼくは警視総監賞をもらえたでしょう」「ぼくらは病気なんです。依存症という病気だから、何回も何回も同じことを繰り返すんです。それがぼくらの持つ病気の本質なんです」▼さらに近藤さんは「ぼくの自慢は国家にお金を分けてちょうだいと言わなかったこと」とも付け加えた。国や警察に「依存」したり、仲間を「売る」ならば、ダルクはとっくの昔に消えていただろう。今や50カ所を超えるまでに増えることもなかったろう。法的にはどうであれ、「仲間を売らない」という態度こそダルクの流儀だ。近藤さんの美しい涙は、その誇りと自負を象徴していた。

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テーマ:写真日記 - ジャンル:写真

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